━━ この記事の著者 ━━
島田慶資(しまだ けいすけ)|ハンズバリュー株式会社 代表取締役。東北6県の温泉旅館を中心に、経営改善・事業再生のコンサルティングを10年以上実施。支援案件は延べ1万件超、補助金等の累計調達支援額は500億円。認定経営革新等支援機関。東日本大震災、令和元年台風、福島県沖地震などの復旧・再建局面でも、事業者の生活と事業継続を守る支援に取り組む。事業再構築補助金・中小企業成長加速化補助金の採択支援実績あり。
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「新規の電話予約が、もう何ヶ月もありません」
社長がそう言ったとき、僕は思わず聞き返しました。「新規って、取れてないってことですよね?」
返ってきたのは沈黙でした。
東北地方のある温泉旅館での出来事です。客室30室ほどの中規模旅館で、かつては営業担当がいて企業団体客を積極的に取っていました。しかしその担当者が退職し、代わりの営業人員を確保できないまま数年が経過。気がつけば、新規顧客の獲得経路がほぼ消失していました。
「営業マンがいない」——中小の旅館にとって、これは珍しい状態ではありません。むしろ大多数の旅館が、専任の営業担当なしで集客しています。問題は、「営業マンがいないことの代替手段を何も用意していない」ことです。
この記事では、営業担当不在の旅館が集客を立て直すために実際に取り組んだ施策を、3つの時間軸(今週・今月・半年)で整理してご紹介します。
この記事の結論
営業マンがいない旅館の集客改善は、①短期(OTAクーポンで空室を埋める)、②中期(既存団体顧客リストを掘り起こす)、③長期(需要ポートフォリオを複線化する)の3段階で設計します。いずれも専任の営業担当は不要です。
事例の前提:なぜこの旅館は「営業力」を失ったのか
支援先の旅館は、以下のような状況でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 立地 | 東北地方の山間温泉地 |
| 客室数 | 約30室 |
| 主な客層 | ビジネス出張客(60%)、レジャー客(30%)、団体(10%) |
| 営業体制 | 専任営業ゼロ。社長がすべて兼務 |
| 外部環境 | 熊出没報道でレジャー需要が減退中 |
| 借入状況 | 設備投資のため一定の借入あり |
この旅館にはかつて、大手企業の保養利用や工事関係者の長期滞在を取ってくる営業担当がいました。その担当者の退職後、「いつか補充しよう」と思いながら年月が経ち、営業ノウハウも顧客との人間関係もすべて失われていました。
構造的な変化も重なっていた
営業担当の不在だけが原因ではありません。周辺の工事案件自体が減少し、「5〜6人の団体で電話予約」という従来の動線がそもそも細くなっていました。いまは1〜2人の出張客がOTA経由で予約する時代です。
つまり、人の問題(営業担当の不在)と市場の問題(需要構造の変化)が同時に起きていたのです。片方だけを解決しても、もう片方が残ります。
短期施策:OTAクーポンで「弱い日」を埋める
まず着手したのは、今週・来週の空室を埋めるための短期施策です。
じゃらんクーポンの限定発行
社長に「特に稼働が弱い日はどこですか?」と聞いたところ、平日と月末の土曜日が出てきました。そこで、稼働が弱い特定日に限定して、じゃらんのクーポンを試験的に発行しました。
結果は、想定以上の効果でした。発行した日にちゃんと予約が入ったのです。
クーポンは「多用したくない」施策である
ただし社長は「本来は割引に頼りたくない」と本音を漏らしていました。クーポンは「割引+システム手数料」の二重負担になるため、多用すると利益を圧迫します。
僕のアドバイスは以下のとおりです。
- クーポンは「空室を埋める消火器」として使う: 稼働の弱い日に限定し、全日程に発行しない
- 発行量と日程をコントロールする: 金曜・三連休前日など、もともと埋まりやすい日には使わない
- クーポン価格に手数料分を織り込む: 定価から割引するのではなく、手数料込みの価格を設定してからクーポンを適用する
短期施策はあくまで応急処置です。これだけで経営が安定することはありません。
中期施策:「すでに知っている人」に声をかける
次に取り組んだのは、既存顧客リストの掘り起こしです。
予約システムから団体名簿を抽出する
社長のPCには予約管理システムが入っており、過去2〜3年分の予約データが残っていました。個人名だけでなく、「〇〇運輸」「〇〇会」「△△組合」など団体名での登録も多数あります。
僕が提案したのは以下の手順です。
- 過去2〜3年分の団体利用データを出力する
- 冬季(11〜2月)に複数年連続で利用している団体を抽出する: 同じ時期に繰り返し利用している団体は、来年も利用する可能性が高い
- 団体ごとに「誰に電話するか」「何を伝えるか」を決める: 「今年もよろしくお願いします」の一言を、利用開始の2ヶ月前に入れるだけで、キャンセル防止と優先確保につながる
なぜ「新規営業」より「既存深掘り」が先か
営業マンがいない旅館に、新規飛び込み営業を勧めるのは酷です。社長が1人で工業団地を回っても、認知のない施設に新規で予約を入れてもらえる確率は低く、時間と体力だけが消耗します。
まずは「すでにうちを知っている人」に連絡する。 これなら営業スキルは必要ありません。必要なのは、過去の予約データと電話1本です。
新年会・団体需要の特性
この旅館の地域では、忘年会の会社単位での開催は減少していましたが、新年会は商工会・組合・消防団など「集合体」の単位で根強く残っていました。
集合体の新年会には以下の特徴があります。
- 幹事が個人ではなく組織なので、キャンセルされにくい
- 一度利用すると翌年も同じ場所を使う傾向がある
- 単価は高くないが、地元住民に旅館を知ってもらう入口になる
消防団の新年会が6,000〜6,500円でも、「一度使ってもらうこと自体に価値がある」というのが僕の考えです。
長期施策:「観光一本足」からの脱却
短期・中期の施策を回しながら、並行して取り組むべきなのが需要構造の見直しです。
肘折温泉の教訓
僕が支援している他の温泉地では、設備投資をおこなって観光客向けに舵を切った宿が、災害や風評被害の影響で苦境に陥っているケースが複数あります。
一方で、借入を小さく抑え、地元客と常連に支えられて「細く長く」続けている宿は、景気が悪化しても持ちこたえています。
この対比から見えるのは、需要ポートフォリオの複線化が旅館の生存戦略になるということです。
需要ポートフォリオの考え方
| 需要源 | 特徴 | リスク |
|---|---|---|
| レジャー客(OTA) | 検索順位と口コミに依存。景気・天候・風評に敏感 | 高 |
| ビジネス出張客 | 景気に左右されるが「来ざるを得ない」需要がある | 中 |
| 団体(地元組織) | 一度取れば翌年も使う。キャンセルされにくい | 低 |
| 常連・リピーター | 直接予約が多く手数料がかからない。最も利益率が高い | 低 |
レジャー客だけに依存すると、外部環境の変化(熊出没報道、感染症、天候不順)に対して極めて脆弱になります。
この旅館が取った方針
社長と話し合い、以下のように整理しました。
- 12月は既存団体への電話フォローで新年会需要を確保する(中期施策の実行)
- 1〜3月は「出血を抑える守り」と「2月のイベント企画」を組み合わせる: 過去に実施した業者向け感謝イベントを、収益性を確保できる単価設定で再設計する
- 年間を通じてビジネス客・地元客・団体客のバランスを意識する: 一本足から複線化への転換
もし何もしなかったらどうなるか
営業マンがいないまま、何の代替手段も打たなかった場合——。
- 新規顧客の獲得経路がゼロのまま: リピーターの自然減で、年間の宿泊者数は毎年少しずつ減少していきます
- OTA依存度がさらに高まる: 自力で集客できないため、OTAの手数料負担が経営を圧迫します
- 外部ショックに対して無防備: 熊出没報道、感染症、災害——どれか1つが起きたとき、レジャー客が消えれば一気に稼働が落ちます
営業マンを雇えないなら、営業マンの代わりになる仕組みを作る。 それが短期(クーポン)・中期(既存顧客掘り起こし)・長期(需要複線化)の3段階設計です。
まとめ:営業マンがいなくても集客はできる
- 短期(今週〜来月): OTAクーポンを「弱い日」限定で発行する。発行量と日程をコントロールし、手数料分を価格に織り込む
- 中期(1〜3ヶ月): 予約管理システムから過去の団体利用データを抽出し、冬季に繰り返し利用している団体に電話で声をかける
- 長期(半年〜1年): レジャー客一本足の需要構造から、ビジネス客・団体客・常連客を含む複線型に転換する
専任の営業担当を雇えなくても、既存のデータと社長の電話1本から始められます。大事なのは「いつか営業マンが来たら」と待つのではなく、今ある手札で戦う覚悟を持つことです。
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